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妙蓮寺について

妙蓮寺について

当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で長光山 妙蓮寺と申します。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳(優れた弟子)のお一人、日像上人の作です。

本尊

当山は、観応元年(一三五〇年)今の横浜市神奈川区神明町にあり大経院妙仙寺と称しました。
日蓮聖人に帰依(仏の威徳に心を傾けて信仰すること)の深かった大檀越である波木井公の一族で伊豆から生麦に移り住んでいた波木井善太郎公は、池上本門寺第三祖日輪上人の熱心な信者でした。
当時日輪上人は鎌倉の妙本寺に住んでおられ、池上本門寺にある日蓮聖人の御廟所に詣でるのを常としておられました。そこで、波木井善太郎公はその往還に宿とする草庵をつくり、日輪上人を請じて開山とし寺と致しました。
後に小田原北条家、徳川家より寺領五石のご朱印を賜りました。

本尊
本堂内

明治四十一年(一九〇八年)横浜鉄道臨港線(JR横浜線)の引込み線の敷設に際して大経院妙仙寺は止むなき移転となりました。
当時の住職第四十一世慈性院日體上人は、池上本門寺の末寺で檀家も少なく不便な地にあって維持困難な浄寿山蓮光寺(現在の妙蓮寺の地)を移転先に選びました。
蓮光寺は天正年間(一五八〇年頃)正乗院日運上人が池上本門寺第十二世日惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院です。
そして両寺の住職及び檀信徒があいはかり一寺とすることとし、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて、妙蓮寺と改め日體上人が第一世となりました。ときに明治四十一年(一九〇八年)八月八日のことです。


妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年(一九二六年)東京横浜電鉄(現在の東急東横線)の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供しました。ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与されました。当山はまことに鉄道と縁があります。
昭和四十四年(一九六九年)十一月四日、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂・客殿を完成いたしました。さらに昭和五〇年(一九七五年)九月には客殿及び庫裡を増築しました。
そして、当山現住職(第四世 日英)へと引き継がれ現在に至っております。

本堂内

長年踏切の前に立ち、平成十七年(二〇〇五年)に境内に移設された石塔(池上本門寺第六十八世慈秀院日迦上人染筆)は当山の合併を記念して建立されたもので、朱塗りの山門は池上本門寺の山門を模して作られております。
叉、本堂北脇の小鐘は蓮光寺の什物で享保二十年(一七三五年)木村將鑑安成作、中庭入口の門は中門として立てられましたが本堂新築の際現在地に移しました。
墓域には開基波木井家の墓碑、大正の米騒動の鈴木辨蔵氏、甘蔗(サトウキビ)の栽培に努力した新井忠兵衛氏の墓があります。
本堂右手から境内周辺にかけて四季の移り変わりを味わって頂く庭園を設けており、本堂裏手には当地の昔の地名にちなんで「菊池(くくち)の滝」と 本堂外観 称される落差四メートルの滝があります。
現在境内は人々の憩いの場所として広く開放しています。
しばし、四季折々の緑あふれる境内で、滝からの水音に耳を傾けられて雑念を忘れる一瞬の安らぎを得られれば幸いと存じます。

本堂外観
<運営母体>

宗教法人 妙蓮寺
代表役員 山本玄征
〒222-0011 神奈川県横浜市港北区菊名2-1-5

<関連企業>

妙蓮寺斎場・不動産管理部・永代供養墓地受付 妙蓮寺趣味の教室・ホームページ運営
有限会社 橘
代表取締役 土屋光廣
〒222-0011 神奈川県横浜市港北区菊名2-1-3
電話045-431-4421 FAX045-431-4431